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 原子力考

平成17年11月7日開催 第42回「原子力の日」記念シンポジウム
『ジュネーブ国際会議から50年〜わが国の原子力平和利用は〜』 基調講演より

原子力平和利用の黎明とその前途
中曽根 康弘氏 (財団法人 世界平和研究所会長) ※病気のため、衆議院議員 柳本 卓治氏による代読

 昭和29年(1954)3月、予算案の審議が大詰めを迎えていた衆議院予算委員会に、自由党、改進党、日本自由党による共同修正案として、わが国初の「原子力予算」を提案しました。この2億3500万円の原子力平和利用研究調査費と1500万円のウラン資源調査費を成立させたことから、日本の原子力平和利用研究は始まります。

  衆議院の審議で野党委員から「なぜ2億3500万円か」と質問が出たときに、私が「濃縮ウランはウラニウム235だ」と答えて大爆笑を引き起こし、無事、衆議院を通過させたうれしい思い出もあります。

  しかし、翌日の新聞、ラジオは、「原子爆弾をつくるのだろう」「突如提出の無知」「予算を撤回せよ」等々、轟々たる非難を浴びたものです。しかし、参議院でも終わりの頃は、これからの文明の動向と世界の潮流に気がついて、反対論は「いかにこれを有効に活用するか」という方向に動き、政府も経済企画庁に調査室を設けるなど、動きが始まったのであります。

  この草創の頃に私の記憶に残る3人の指導者がおります。
  1人は、理化学研究所の嵯峨根遼吉博士であります。私が昭和28年、米国での原子力視察の帰途、サンフランシスコ総領事館に当時、ローレンス・バークレー研究所におられた博士においでを願って、「日本の原子力政策を推進するにはいかなる配慮が必要か」という私の質問に対して、3原則を挙げられました。1つは、政府が長期的な国策を確立して毅然とやること。2つ目は、法律、予算をもってその保障をなすこと。3つ目は、研究所には実力のない学者も蝟集するから、真に実力のある学者を選択すべきことを挙げられ、私はそれを遵守しました。これが非常に重大な出発であります。その後、原子力委員会を設置して、湯川秀樹博士や経団連の石川一郎会長という日本の最高級の方にご出動を願ったのもその成果です。

  第2は正力松太郎先生で、科学技術庁長官に就任するや、私と社会党の松前重義先生の助言を採用して、思い切った未来性のある、全く官僚的でない原子力政策をスタートさせたことです。また、自ら英国のコールダーホール型原子炉の輸入を提唱し、これを実現して、日本国民に初めて原子炉を見学させ、啓蒙、発展に多大の成果を挙げられました。

  第3は、昭和30年に開かれたジュネーブの第1回原子力平和利用国際会議への出席で経験した、先進国や中進国の発展と日本の後れの実感でありました。私と松前重義先生以下4名の各党代表が同会議の顧問として出席したのでしたが、議長となったインドのバーバー博士が深い知識の下に堂々たる会議の進行を主導いたしました。団長の駒形博士以下、出席した日本の科学者も大きな屈辱感を得て、日本の原子力平和利用の大促進の決意をもったと思います。このジュネーブ会議への参加費も、実はその前年の原子力予算のおかげでできたものであります。

  ジュネーブの会議が終わるや、我々議員団はイギリス、フランス、アメリカ、カナダに赴き、詳細な調査を行ないました。昼間の調査が終わると、ホテルの一室に集まり、ランニングシャツとステテコでベッドの縁に座り、激しく討論を交わしました。そこで日本の来たるべき原子力の諸政策、科学技術庁の設置などの詳細、具体的な意見をまとめていったのであります。各地の日本大使館からは毎晩招待がきましたが、全部断り、ステテコの会議に熱中したものです。「こんなまじめな議員団は初めてだ」と敬意を表されました。

  9月に羽田に帰り、超党派で4人の声明を発表。日本の原子力研究開発体制の整備が急務であると考え、日本の原子力研究開発熱を一挙に上昇させました。そして、4党合意により衆参両院議員の超党派の協議体として原子力合同委員会を組織し、一連の原子力法体系をまとめたのであります。

  我々は政府の手を借りずに、衆参両院の法政局を活用し、議院立法の作成に没頭しました。そのときに現在の原子力法体系のバックボーンになっている原子力基本法、原子力委員会設置法、原子力研究所法、原子燃料公社法、核燃料物質開発促進法、放射線障害防止法、この8本の原子力法体系と科学技術庁設置法が半年以内に成立したのであります。

  大事なポイントを幾つか述べます。
  原子力委員会に関しては、当初、公正取引委員会のように国家行政組織法三条に基づく独立の行政委員会にしようと考えました。育成期には調整が必要であるとの考えから弾力性をもたせ、国家行政組織法八条に基づく諮問機関としました。しかし、通常の八条機関とは異なり、政府の諮問なくして自ら企画し、審議し、決定することができ、内閣はこれを尊重しなければならない、という半独立的な性格を持たせたものであります。

  第2は、原子力基本法について超党派的に合意を形成し、平和目的、民主、自主、公開と国際協力という今日も生きている機軸をつくったことであります。この原子力政策の当初における与野党協調の性格は歴史的成果を挙げたもので、このことは政党政治において記憶さるべきことであります。

  第3は、原子力政策を強調するために、各省の原子力予算は科学技術庁原子力予算として一括上程、それを各省に振り分ける仕組みに予算を編成し、予算執行上の重大な例外をつくり、かつ原子力研究所の研究者の給与を一割増しとして人材を集めたことであります。

  また、原子力委員会は当時すでに日本の長期計画を策定いたしましたが、軽水炉、動力炉、廃棄物処理、プルサーマル、高速増殖炉、核融合炉の工程を策定し、取りあえず軽水炉、発電動力炉、放射線利用、次いで廃棄物処理が重点目標とされたのであります。その後のいろいろな変遷によりまして、この長期計画もときによっては妨害を加えられ、その存在も疑われた時代がなきにしもあらずでありましたが、各位の努力によってこれを切り抜けてきました。

  しかしながら、本年の国際熱核融合炉(ITER)の建設決定によって、日本の長期計画は断固として推進されなければならない体制へと移ってきました。今、世界の動力炉で稼働数の多いものは、米国が100基台、フランスと日本が50基台でありますが、原子炉の歴史を見ると、関係者の失敗、政治家の判断ミス、ジャーナリズムのイデオロギー的反対などの惨害を受けており、このような数奇な運命をたどった科学的大研究は人類歴史上ほかにないのであります。

  まず、失敗が原子力の発展をほとんど絶望視するくらいに影響を与えました。ロシア・ウクライナのチェルノブイリ原子炉事故、アメリカのスリーマイルアイランドの原子炉事故は、各国の原子力政策をほとんどストップさせました。日本でも美浜原発、動燃の高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏洩事故、動燃再処理施設の火災放射能漏れ事故、JCOの臨界事故等が起きています。しかし、これらは惹起を予防できる事故であり、炉体の本質に関わるものではありません。しかし、影響は過大で、地元の反対は風雲急を告げ、全国に蔓延して、ジャーナリズムの加速度は急増し、日本の原子力政策は最近まで重大な苦難、忍従の時期を送ってきたのであります。

  政治家の判断が大きな国家的損害を及ぼすという実情は、米国のカーター大統領にその例を見ることができます。彼は、核不拡散条約の遂行、すなわち、核保有国の核政策の縮小から原子力の民間活用もストップし、特に再処理の禁止等により米国の動力炉建設は完全にストップ。その時代から約20年間、動力炉の建設は1基もありません。今、ブッシュ大統領の時代になって、この政策を覆し、発電動力炉の建設に多大な補助金、奨励金を与えて推進し始めていますが、かつての隆盛を誇った原子力産業界においては優秀な技術は消滅し、かつ技術者は各国に引き取られ、今、アメリカが動力炉を建設しようとしても、他国に発注または委託経営をせざるを得ない貧相な状況にあります。米国は軍事的に核政策においては最先進国であるが、平和利用のこの惨状は政治の責任のいかなるかを示すものであります。

  アメリカに次いで惨憺たるものはドイツであります。緑の党の急成長等によって、動力炉政策をストップされたドイツも、アメリカにやや似たような状況にあります。

 これに対し、フランスは一度も変心せず一筋の道を強力に追い続け、原子力最先端国家となりました。科学技術政策において政治がぶれないということはいかに重要であるか、ということが実証されたのであります。

  日本はドイツほどひどくはありませんが、起こるべからざる事故を起こした咎により、動力炉政策はほぼストップしています。最近、プルサーマル計画のためにも、使用済核燃料からプルトニウムを取り出す日本最初の再処理工場の建設が青森県・六ヶ所村で進められています。原子炉でできたプルトニウムを再処理によって濃縮ウランと混合して、より効果的な燃料体をつくり、天然ウランの連続的、循環的再生利用を可能にするプルサーマル計画は、石油資源高騰の折、必要不可欠の原子力政策であります。

  現に、九州電力の玄海原子力発電所3号機でのプルサーマル計画は、国の原子力安全委員会において、技術面、安全面とも妥当と判断されました。また、裁判所も「もんじゅ」の稼働に関して問題がないことを認めています。

  さらにまた今年、EUと競争し合ったITERも、建設地はフランスですが、研究の重要部分についてはEUと日本が分け合って決定することとなり、日本は科学技術や人材派遣の面についてもかなり有利なポジションを得ることができたと評価しています。

  最近の石油の高騰や環境汚染の重大さから非化石燃料への期待が高まってきましたが、風力や太陽などの貢献はまだ微力であり、水素の活用もかなり時間を要する分野であります。かくして動力炉への期待、回帰の時代的空気が醸し出されつつあります。50周年を機にこのような時代に返りつつあることは誠に喜ばしいことであります。

  しかし、大切なことは、草創の初期に知識も少ない我々政治家が大局的判断から寝食を忘れ、毀誉褒貶を顧みず、原子力政策に身を投じたことであり、いささかなりとも国家に貢献できたと自ら慰めているところであります。

  今や50年経って、宇宙には各国協調の大宇宙研究活用の宇宙ステーションが建設されつつあります。原子力平和利用の成功は、宇宙ステーションの成功にも比すべきものとなります。それは単に動力の提供のみならず、プルトニウムの他文明への利用からプラズマの活用、材料学や設計工学の進歩、医学や科学、農業への貢献等、人類文明の精神面も含めて、宇宙時代にふさわしい原子力時代を現出する可能性があります。我々はもう一度、国民諸君に向かって原子力政策の再確認とそのご支援を切にお願いしようではありませんか。

  最後に、結論として幾つか申します。
  一つ、政治による過度の干渉を防止し、内外関係、部署、相互間の情報連絡を密にすること。
  一つ、決して事故を起こさないよう、管理・責任を徹底すること。
  一つ、世論、ジャーナリズムを常時啓蒙し、情報連絡を密にすること。
  一つ、閉鎖的にならないよう常にドアを開示し、国際協調、世界的協力の網を広げること。
  一つ、地震、テロ等に対し厳重な対策を講じること。
  一つ、成果を挙げ、より高度な研究を促進し、恩恵をもって国民に還元すること。
  以上であります。
 


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