原子力文化2016年4月号 インタビュー(抜粋)

僕は小言と放射線でがんを追い出した
― がんに小言を言うと気持ちがスッキリする ―

ウチで修行したコックが湾岸戦争で兵隊に取られて、スペインの木久蔵ラーメン屋は経営困難に。
アメリカ・ニューヨークのラーメン屋は9.11のテロで身売りした……。
落語家の木久扇師匠は、ご存じ木久蔵ラーメンを一時は世界各地に展開していましたが、国際情勢の激しい変化を受け閉店に追い込まれたそうです。
そんな実業にも関わる師匠ですが、本業の高座には、二度のがんを克服して復帰しています。
師匠に、がんとの戦い、ストレスの解消法などについて、お噺願いました。

落語家
林家 木久扇  氏 (はやしや・きくおう)

1937年 東京・日本橋生まれ。56年東京都立中野工業高校食品化学科卒業後、森永乳業に就職するが、4か月後に漫画家・清水崑氏門下に。その後、林家正蔵門下となり、林家木久蔵となる。69年日本テレビ系「笑点」レギュラー、72年真打ちに昇進。07年子息・林家きくおに木久蔵を譲り、木久扇となる。『がんに負けるな!』『だじゃれ ことばあそび100』など著書多数。

―― ご著書『がんに負けるな!』の中で、師匠が、がんに小言を言っているのを、興味深く拝見しました。

僕は自分の体の毛穴がみんな本人の声を聞いていると思っています。例えば、「あー、具合悪い。僕の人生はだめだ」といった悲しみに満ちた言葉を言うと、自分の体がそれを聞いて反応してゆくと……。
15年前に胃がんになって、それからまた今度喉頭がんになりました。素人考えで、がんは一度かかると二度ならないと思っていましたが、またなったので、びっくりしちゃって……。

―― 転移ではないのですか。

転移じゃないのです。
だんだん気がついてきたのは、がんって何かというと、老齢化、加齢による体のサビで、そのサビを落とす作業が医学で治すということだと思います。
僕は小学校1年のときに、東京大空襲を経験しました。毎晩空襲があって、本所(墨田区)が焼けた、築地が火事だというので、おばあちゃんの手を引いて防空壕に走り、恐ろしい夜を何度も過ごしました。そのときの体験が体に染みていまして、どんなに陽気に振る舞っても、ポツンと独りになると、原点に戻っちゃうのです。
戦争体験が強く染みついているので、がんになったのは、そんな精神的なことも半分あるんじゃないかと思いました。
それで朝起きると、がんに向かって小言を言いました。「おい、がんよ、何でおれの中に入ってくるんだ。15年前に胃がんでおまえがいたために入院したり切ったり、大変な思いをして僕は元に戻って、たくさんの仕事をこなしてきたのに、またおれの体に入ってきた。困るんだ。
僕は17人の人を支えている。うちの家族と木久蔵の家族、孫を入れて5人、それから弟子が10人、マネージャー2人、僕がそういう基盤でやっているのに、たった5センチか6センチの長さの病でじゃましないでくれ。出ていってくれ。冗談じゃないッ」って。
落語の稽古をしていますので、独り言っていうか、そういうのは普通の人よりもうまいのです。「出ていけッ」と、ケチョンケチョンにけなして、言い続けていました。
これは、僕の中の治る元気にかなりなったと思っています。

がんに小言を言うと お掃除が終わった後のようないい気持ちになった

―― アメリカでサイモントンという放射線腫瘍医が開発した、サイモントン療法というのがあります。簡単に言えば、患者に白血球ががんをやっつけるというイメージを持たせるのです。放射線治療などと併用すると、回復力が高いそうです。師匠は正にそれの日本版、噺家版をやっていらっしゃったのだなと、ご著書を読んで感じました。

がんに小言を言うと、気持ちがすっきりします。ゆっくりゆっくりですが、自分の精神的なものをクリアにする。お掃除が終わった後のようないい気持ちになり、癖になって必ず言っていた。

(一部 抜粋)




2016年4月号 目次

風のように鳥のように(第76回)
掛け算九九/岸本葉子(エッセイスト)

インタビュー
僕は小言と放射線でがんを追い出した/林家木久扇(落語家)

追跡原子力
チェルノブイリの知見を福島に

中東万華鏡(新連載)
越後七不思議/保坂修司(一般財団法人日本エネルギー経済研究所 研究理事・中東研究センター 副センター長)

おもろいでっせ!モノづくり(第40回)
ロボコンに「まいど1号賞」を出してます/青木豊彦(株式会社アオキ取締役会長)

客観的に冷静に(第42回)
寺田寅彦随想 その13/有馬朗人(武蔵学園長)

笑いは万薬の長(第21回)
福島を語るには、知らないことが多すぎた/宇野賀津子(公益財団法人ルイ・パストゥール医学研究センターインターフェロン・生体防御研究室長)

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