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チェルノブイリ原子力発電所はいま

石川秀高氏

(財)原子力安全研究協会・統括参事

石川 秀高 (いしかわ・ひでたか)

(財)原子力安全研究協会入社後、米国事務所長、企画部長、国際研究部長などを歴任

シェルター

 ウクライナの首都キエフから北、約130キロメートルのところに、1986年4月に事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所はある。キエフからは車での移動となる。事故時には、今回の福島の原子力災害とは比べられないくらい多量の放射性物質を環境に放出しており、30キロメートル圏内は立ち入り禁止区域となっている。

 その30キロメートル圏内へはゲートで立入許可証のチェックを受ける。ここからは人の気配がぐっと少なくなる。森林や空き家だらけの村々を通り抜けると、発電所サイトが忽然と現れる。特に、シェルターは異様な圧力をもって我々の目の前に現れる。

炉心から落下した燃料が構造材と溶融して固まっている

 事故炉から200メートルくらい離れた小さな建物で衣服をすべて取り替え、西壁の横から内部に入る。遮へいが施された通路を通り中央制御室まで行くと、事故直後に荒らされたままの制御盤が薄暗い中に異様な感じで迫ってくる。さらに奥に行くと事故時の衝撃の激しさをまざまざと見せつける主循環ポンプ室に出る。

シェルター内部

 炉心で起こった事故時の水蒸気爆発は大きな破壊力を持っていた。原子炉そのもの、原子炉建屋の天井、壁、そしていくつもの部屋が南北方向に大きく破壊された。原子炉は大気にオープンとなり、原子炉内の燃料や黒鉛ブロックも中央ホールや外部環境ヘ一部が飛び出した。

 特に問題なのは炉心から落下した燃料で、事故時に多量の構造材と混合して溶融一体化して広範囲に移動して固まった。原子炉下の水プールの中に落ちたり、そして廊下を50メートルも移動して“象の足”と言われているものもある。

 爆発の衝撃で屋根近辺へ飛び散った燃料のかけらも多く、はしごを使って屋根の直ぐ下まで行くと線量計のアラームは鳴りっぱなしの状態になる。
この事故炉の状態は25年経った現在でも基本的には変わりはない。

現在のシェルターは事故後半年で建設され多くの隙間がある

 シェルターはウクライナ語ではウクルチェと呼ばれ、事故当初はサルコファーガス(石棺)と言われていた、事故炉を覆ったり、補強した建造物である。

 このシェルターは事故後、約半年で建設された。残された構造物を効果的に利用した設計で、作業は昼夜行なわれ、作業員の総数は一万人に達している。

 設計上の寿命は約30年で、地震や竜巻の影響も考慮されている。しかし、高放射線下でしかも短期間で建設せざるをえなかったこともあり、いくつかの問題を抱えていた。巨大な排気筒の支持部が損傷していることや、天井部分を支える大きな梁が時間が経つにつれ若干ずれが生じていること、そして天井部分や壁には全部合わせると1000平方メートルの隙間があることなどである。この隙間を通して、雨、雪などの水分が年間を通して入り込み、溜まっていくことになる。

 排気筒は倒壊の可能性があるため、1990年代半ばにいち早く補修が施され、また梁のずれもその後早い段階で補修、強化された。これらは、シェルター改善計画(SIP)で実施されたものである。

 SIPは当時の先進七か国(G7)やヨーロッパ諸国を中心として1997年に発足した国際プロジェクトである。計23か国とEUによる拠出金を基にしており、わが国も応分の協力をしている。SIPでは多方面にわたる調査や事業を行なったが、その最終目標は現在のシェルターを覆う新シェルターである“新安全閉じ込め構造物”(New Safe Confinement; NSC)の建設である。

耐用年数100年の“新シェルター”の建設

新安全閉じ込め構造物(NSC、資料:EBRD)

 このNSCは現シェルターの自然環境による劣化を防ぎ、万が一倒壊しても放射性物質の環境への放出を防ぐもので、耐用年数100年、高さが110メートルもある大きな構造物である。現在は基礎工事が進み、これから具体的作業に入ることになる。

 NSCが完成すると現在の不安定要因はかなり解消する。しかし内部では多量の燃料含有物質も存在し、その点検・管理はウクライナで進めていくことになる。国際社会は過去のこと、またウクライナの問題だとして忘れることがあってはならない。

 事故後の様子は、見方を変えると我々に多くの安全性に関わる技術的知見や実証データを与えてくれる。このための研究も多くなされて来ており、25年経った現在でも地道に続けられている研究もある。このような種々の貴重な研究成果は、いわば原子力の技術的遺産であり、多くの原子力関係者で共有する必要がある。