原子力文化2018年11月号 インタビュー(抜粋)

がんサバイバー・クラブへの誘い
― がんは普通の病気というふうに世の中が変われば ―

今年のノーベル医学生理学賞は、がんの免疫療法にかかわるものでした。日本人は2人に1人が、がんにかかると言います。 日本対がん協会会長の垣添忠生さんは、2017年6月に「がんサバイバー・クラブ」を立ち上げて、今年の2月から7月、「全国縦断 がんサバイバー支援ウォーク」で、九州から北海道まで、全国がんセンター協議会加盟の32のがん病院を行脚しました。総移動距離は3500キロにもおよぶというこの行脚を、垣添さんはなぜ行なったのでしょう。

(公財)日本対がん協会会長
垣添 忠生  氏 (かきぞえ・ただお)

1941年 大阪府生まれ。医学博士。専門は泌尿器科学。1967年 東京大学医学部医学科を卒業後、国立がんセンター病院手術部長、副院長、病院長、国立がんセンター中央病院長、国立がんセンター総長などを歴任。2007年4月国立がんセンター名誉総長の称号を受ける。公益財団法人医用原子力技術研究振興財団理事長など医学関係の役職を多く務めている。医学書のほか、『がんを防ぐ』『妻を看取る日』などの一般向けの著書も多数。

―― がんサバイバーというのは、聞き慣れない言葉ですが。

サバイブというのは英語で生存する、生きる、という意味ですが、がんを一度でも経験した人、現在治療中の人から、5年経ち10年経って治った人まで含めて、がん経験者のことを「サバイバー」と呼びます。そういうふうに、日本対がん協会でもアメリカ対がん協会でも、世界中が定義しています。


―― なぜ今回、九州から北海道まで全国行脚をなさったのですか。

去年の6月に対がん協会本部に「がんサバイバー・クラブ」を立ち上げたのです。
これは個人から企業まで誰でも加入できるのですが、会員制のクラブで、会員から若干寄付をいただき活動するものです。去年の6月に立ち上げたのですが、あまり会員も寄付も増えてこないものですから、サバイバーという言葉やサバイバー・クラブが認知されていない、これは何とかしなくてはいけないと、いろいろ考えていたのです。
NHKのBSで、2014年にアドベンチャーレーサーの田中陽希さんが、南の屋久島の宮之浦岳から北は利尻島の利尻岳まで、日本百名山を走るように、一筆書きのようにして半年で登っていました。私は登山を愛好するものですから、あの番組を見て「そうだ、百名山のかわりに全がん協施設を回るのがいいのではないか」と思いついて、計画したのです。
当初は対がん協会本部の人たちは、私がもうじき77歳になるし、健康問題などを心配して、反対が多かったのです。
でも、私はがんサバイバーを支援しようと幟をつくったり、基調色を緑に決めて、ロゴを入れたり、そういう準備を進め、また、私の秘書が精密な旅程を立ててくれ始めました。こんな旅行をする人はいませんから、宿の予約から何から予定を立てるのは、すごく大変だったと思います。
特に各がんセンターとのアポの日時には遅れてはいけないので、一部は列車を利用しました。例えば1駅利用すると、歩く距離が何キロ、2駅列車に乗ったら何キロ歩くなど、そういう非常に精密な予定を立ててくれた。それから宿も近くに温泉があったら、なるべく疲れを取るように温泉を予約してくれたり……。
その様子を見ていて、対がん協会の本部も、会長は本気だから支援しなくてはいけないと、現地対応者やマスメディア対応者、インスタグラム対応者と、組織的に動き出して、2月5日の九州がんセンターから、7月23日の北海道がんセンターまで歩きました。

 

(一部 抜粋)




2018年11月号 目次

風のように鳥のように(第107回)
痩せる方法/岸本葉子(エッセイスト)

インタビュー
がんサバイバー・クラブへの誘い/垣添忠生((公財)日本対がん協会会長)

まいどわかりづらいお噺ですが
北海道大規模停電にみるリスクと備え

中東万華鏡(第32回)
イチジクの話/保坂修司(一般財団法人日本エネルギー経済研究所 研究理事・中東研究センター 副センター長)

おもろいでっせ!モノづくり(第71回)
それぞれができることをやりませんか/青木豊彦(株式会社アオキ取締役会長)

ドイツでは、今(第5回)
日本は原発再稼働しなくて大丈夫?/川口マーン惠美(作家)

笑いは万薬の長(第52回)
3・11以降の放射線に関するツイッターによる情報拡散解析から/宇野賀津子(公益財団法人ルイ・パストゥール医学研究センターインターフェロン・生体防御研究室長)

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