原子力文化2022年3月号 インタビュー(抜粋)

ウクライナは西をめざす
― どのブロックに入るか主権国家は自ら決める ―

ボルシチというのは本来、ウクライナ料理だそうです。
そんなことも、あまり知られていない国ウクライナは、1991年崩壊したソ連邦を構成する15の共和国の一つでした。
ソ連崩壊で独立したその国が、旧ソ連で盟主だった隣国ロシアと、いま緊張状態にあります。 
一体、何が起こっているのでしょう。
元ウクライナ大使の坂田東一さんにお話を伺いました。

元ウクライナ大使
坂田 東一  氏 (さかた・とういち)

1974年東京大学大学院修了、同年科学技術庁入庁。原子力局政策課長、長官官房総務課長、理化学研究所理事、文部科学審議官などを経て2009年文部科学事務次官。2011年ウクライナ駐箚特命全権大使兼モルドバ駐箚特命全権大使。2014年10月退官。2015年6月から日本宇宙フォーラム理事長に。


―― 坂田さんはウクライナに、2011年から14年までいらしたのですね。

2011年の10月から2014年の10月までの3年間です。
最後の一年間は、いわゆる「ウクライナ危機」の始まりで、ロシアによるクリミアの併合がありました。その後、東部で紛争、ウクライナから見たら戦争状態が起こった時期です。外交的な試みがヨーロッパ、ロシアを交えて行なわれましたが、東部では、停戦に至らず今日まできています。


―― ウクライナは、東の方に行くとロシア系の人が多いとか。

ロシア人、ウクライナ人という区別はありますが、東スラブ系で民族的には一緒だと思います。
歴史的にウクライナが初めてできたのは8世紀末でした。国としての形がよりはっきり出てきたのが10世紀の後半です。988年にウラジミール一世という事実上の王様がギリシャ正教を認めてから国らしくなってきた。
設立当初から国名はキエフ・ルーシ(キエフ大公国)と言っていました。3世紀以上経て、モンゴルが攻めてきて、1240年にキエフ・ルーシは滅び、ウクライナはなくなってしまいました。13世紀から数世紀の間は、14世紀はリトアニアやポーランドなどが支配国でした。14世紀から16世紀にかけて、リトアニアやポーランドで農奴として働いていた人たちが南下して、コサック集団を形成し、ウクライナ即ちキエフを復興させました。
17世紀半ばに、このコサック集団はポーランドと戦争になって旗色が悪くなり、ロシア皇帝の保護下に入りました。この頃からロシアが親分になったという感じです。18世紀の後半、ロシア帝国はエカテリーナ二世の時代です。その頃、ウクライナは地域を支配する能力をロシア帝国に完全に取り上げられてしまった。それ以降は国家がない状態になってしまって、20世紀に入った。
1917年、ロシア革命がありました。その頃に独立の試みがあって、事実上独立国のような形で一時的にウクライナ人民共和国が存在はしたのですが、当時のロシア・ソビエト政権からの攻撃に遭って滅ぼされて独立はかなわなかった。第二次世界大戦後も独立はかなわず、独立は冷戦終結時まで待たざるを得なかった。
冷戦の終結とともにソビエト連邦が崩壊、ロシアの次に大きかったウクライナも、崩壊に向けて一定の役割を果たしました。そこで初めて独立することができました。1991年の8月24日がウクライナの独立記念日です。
長い歴史を振り返れば、10世紀、11世紀、12世紀のキエフ・ルーシの頃はヨーロッパの一つの大国でした。ビザンチン帝国(東ローマ帝国)と並ぶ大国でした。1991年はそれ以来の独立かもしれません。


 

(一部 抜粋)





2022年3月号 目次

風のように鳥のように(第147回)
理科って役立つ/岸本葉子(エッセイスト)

インタビュー
ウクライナは西をめざす/坂田東一(元ウクライナ大使)

世界を見渡せば(第15回)
耳で聞く読書のススメ/関 美和(翻訳家・杏林大学外国語学部准教授)

特別インタビュー
事故後11年経った福島は今/開沼博(東京大学大学院情報学環准教授)

中東万華鏡(第72回)
焼酎とアラク/保坂修司(一般財団法人日本エネルギー経済研究所 理事・中東研究センター長)

おもろいでっせ!モノづくり(第111回)
明るい顔しても暗い顔しても人生は人生です/青木豊彦(株式会社アオキ取締役会長)

ドイツでは、今(第45回)
危ぶまれるドイツ外交/川口マーン惠美(作家)

温新知故(第36回)
「ポンペイ」が物語る天災と文明の歴史/斉藤孝次(科学ジャーナリスト)

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