月刊誌 原子力文化 インタビュー

原子力文化2015年4月号 対談(抜粋)

戦後70年の日本を考える(上)
― 「日本は島国でどんなに得したことか」 ―

いやあ。早いものですなあ、こないだマッカーサーがきたと思ったら、もう……。
これは亡くなりましたが、ある落語家の枕での台詞です。
折しも戦艦大和の姉妹艦・武蔵らしい船が海中から発見され、世情を賑わしています。戦後70年を期に、今月号と来月号でこれまでの日本、そしてこれからについて、お話しいただきました。

読売新聞東京本社・特別編集委員
橋本 五郎  氏 (はしもと・ごろう)

1941年 秋田県生まれ。論説委員、政治部長、編集局次長などを歴任後、2006年から現職。10年以上にわたり読売新聞書評委員を担当中。報道・情報テレビ番組での解説者としても好評を博している。東日本大震災復興構想会議では委員を務めた。『総理の覚悟』『総理の器』『新聞の力』『範は歴史にあり』など著書多数。

作家
曽野 綾子  氏 (その・あやこ)

東京都生まれ。幼稚園から大学まで聖心女子学院で学ぶ。『三田文学』に書いた「遠来の客たち」が芥川賞候補となり、23歳で文壇にデビュー。翌年、作家・三浦朱門と結婚。以後、精力的に作品を発表。クリスチャン作家としても有名。79年ローマ法王よりバチカン有功十字勲章を受章。近著に『老いの冒険』『端正な生き方』などがある。

 

橋本
第二次世界大戦の終結から70年経ちますが、日本は戦争で、完膚なきまでにやられました。その後占領され復興し、そして高度成長、バブル、バブル崩壊と、あらゆることを経験しました。
世界の歴史の中でも、これだけ短期間に世界有数の経済大国になった国はないと思います。それだけ国民が努力したということでしょうね。

 

 

曽野
民主主義という新しいものが日本では定着したのです。それでアメリカは世界中どこでもうまくいく、と勘違いしたのでしょうか。
私は何でも前の時代のはっきりした体験が、一見マイナスのように見えても必要ではないかと思います。
ですから、上から下の庶民の段階まで封建主義であったとき、上の人だけが何かやっていて、下はよくわからないが、それなりに社会形態を知っている。それがあったからこそ、近代化や民主主義ができたような気もします。
その上、戦争で完膚なきまでにやられたものですから、庶民が、私の世代の言葉で言うと貧困や裏切り、そして地面の上に荷物を広げて物を売る闇屋などを、誰もがそういうことを体験して、どん底から出発した。これは大きな遺産ですね。
これをうっかり言うと、すぐ「戦争がよかったんですか」と言う人がいます。そう短絡しないで、何でも物事にはいいことと悪いことと両面が同時にある。90%いいことで10%悪いことと、その逆の比率のものもあるのですが、私などの世代のおばあさん、おじいさんは「おかげで強くなった」と言いたいのです。
貧困にも強くなり、政府を当てにしないことも体験済みです。庶民は正直で働き者で、学歴がある、ないにかかわらず創意工夫が好きなのです。これはなぜだかわからないのですが、そのおかげです。
ですから、私は先輩にもご先祖さまにも同輩にも後輩にも感謝する一方です。こういういい性格をもっている国民は、なかなかないと思います。

 

 

橋本
戦後の民主主義が根付いたとすれば、どこにその大本があるかというと、その手前です。
例えば、日本の近代化はなぜ成し遂げられたか。それは江戸時代に基礎があったからです。
そして、それはさらに明治以来の日本が歩んできた道が、戦後の民主主義につながった。それなのに中国への進出や従軍慰安婦だけに焦点が当てられるような歴史観というのは何なのか。そこが非常に疑問に思います。

 

 

曽野
人間がたくさんいれば、必ず立派なことをする人と、ちょっと困ったことをする人とがおりますね。
私などは、それをかいくぐって良き方向にもっていく、というのがその時代の知性だと思いますが、この頃、日本というのは100%主義ですね。

 

100%正しい人はあり得ない
性善説と性悪説の中間に人間はいる

 

橋本
例えば、原発の問題でも100%安全でなければ認めない。そんな100%安全などあり得ないし、100%正しい人なんかあり得ません。
一人の人間の中にも神さまと悪魔がいるのであって、人が見てなければ悪いことを、ついついやってしまいます。性善説と性悪説の中間に人間はいるんですね。

 

 

曽野
ですから、歌舞伎の心中ものも愛されるのですね。それも人間ですが、妻子に対する愛情もあって、相克に悩むのが、人間だと私は今も思い続けています。
私は修道院で教育を受けました。修道院のシスターたちの信仰は非常に重大なものですから、軽々しく言えないのですが、生活の物質的全部は共産主義です。何でも分けるんですね。フランス語で「パルタジェ」すると言っていらっしゃる。
例えば、私が昆布の佃煮を一包外国に持っていきますでしょう。日本人のシスターが一人いると、たぶん一人で食べたいのだと思うのですが、シスターは皆さんに分ける。パルタジェなさる。
日本のお米も重い思いをして持っていって、日本人のシスターだけが炊いて昆布で食べればいいのにと、私などは利己主義ですから思います。みんなに分けると、「おいしいわね。シスター、あなたの炊事当番のときにまたお米を炊いて」と言うんですって。
分けることは辛いことです。でも、持てるものの元は神さま、仏さまだから、いただいたものは必ず分けて共に喜ぶ、そういうことが日本にあまりないですね。意思の力でもって分けるのが愛ですから、そういうことがないのかなと思います。

 

 

橋本
なるほど。

 

(一部 抜粋)




2015年4月号 目次

 

風のように鳥のように(第64回)
珍事!口から玉が/岸本葉子(エッセイスト)

対談
戦後70年の日本を考える(上)/橋本五郎(読売新聞東京本社・特別編集委員)×曽野綾子(作家)

まいどわかりづらいお噺ですが
放射線を利用して、新しい品種を育てることに挑戦

いま伝えておきたいこと(第40回)
湧きおこる問題/高嶋哲夫(作家)

おもろいでっせ!モノづくり(第28回)
農業版ルンバをという話がでてきました/青木豊彦(株式会社アオキ取締役会長)

客観的に冷静に(第30回)
寺田寅彦随想 その1/有馬朗人(武蔵学園長)

笑いは万薬の長(第9回)
花粉症と衛生仮説/宇野賀津子(公益財団法人ルイ・パストゥール医学研究センターインターフェロン・生体防御研究室長)

交差点

ページの先頭へ戻る