日本原子力文化財団ホームへ戻る

原子力80年 いまだ草創期か

北村 行孝 氏

科学ジャーナリスト

今からちょうど80年前の1939年、欧米の物理学界は、前年末にドイツのオットー・ハーンらが発見したウランの核分裂現象の話題で沸いていた。物理学者らが追試に挑み、後にノーベル物理学賞を受賞することになる朝永振一郎も、留学先のドイツ・ライプチッヒ大学でこの話を聞き、熱気の一端に触れている。原子力時代の始まりである。
まずは米国が原子爆弾の開発を成功させ、広島・長崎の悲劇でその威力をみせつける。第二次世界大戦・太平洋戦争の終結とともに、平和利用も本格化していく。まず旧ソ連が原子力発電所の運転を始め、米英なども続いた。日本でも、56年の原子力委員会、日本原子力研究所、原子燃料公社の発足に始まり、急速に研究・開発体制が整えられていく。
日本原子力文化振興財団(日本原子力文化財団の前身)が誕生したのは、その10年あまり後の69年のことだった。日本が原子力の開発研究と並行して進めてきた、海外技術による商用発電が本格化しようとしていた。翌70年には日本原子力発電の敦賀1号機(沸騰水型炉)、関西電力の美浜1号機(加圧水型炉)が運転を開始し、軽水炉を中心とした原子力発電が急進展してゆく。

筆者が原子力の世界に関係するようになったのは、昭和が終わって平成が始まったばかりの1990年代のことである。全国紙の記者として社会部から科学部に移り、当時、原子力政策や安全規制を担った科学技術庁(後に文部科学省)の担当として、様々な取材に携った。青森県・六ヶ所村で核燃料サイクル施設の建設計画が本格化しようとしており、再処理工場のための公開ヒアリングに赴いたり、高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の竣工式を取材したりした。主な関心事は、国産開発路線の行方と、安全問題だった。
1994年4月には「もんじゅ」が初臨界を達成するが、翌95年12月にはナトリウム漏れ事故を起こし、対応の拙劣さが混迷をもたらす。99年9月には犠牲者を出すJCO臨界事故(茨城県東海村)も起きた。振り返れば、高速増殖炉を中核とする核燃料サイクル体系が退潮へ向かう一方、商用発電炉の主流である軽水炉は、国産化率を上げて高度化をはかるなど、比較的順調に推移していたころに記者生活を送った。

報道の現場を離れて約10年。新聞社を退社した翌2011年に起きたのが、東日本大震災・東京電力福島第一原発事故だった。記者だったころ、研究者から聞いた「世界の原子力関係者はチェルノブイリ事故で地獄の底を見た」という言葉を記憶していたが、まさかそれに匹敵するほどの事故がこの日本で起きようとは・・・。
現役時代に、安全研究の不足やシビアアクシデント対策の必要性などを指摘してきたつもりだったが、何と生ぬるく甘かったことか。放射線の人体被害防止を基幹にして組み立てられた安全対策はいかにも観念的だった。環境破壊や家族・地域社会の崩壊、避難生活に伴う苦悩まで、影響ははるかに広範で深刻だった。

原子力に未来はないのだろうか。人類史的な観点からエネルギー利用を振り返れば、少なくとも20万年以上前には原人段階の人類が枯れ木などによる火の利用を始め、現生人類(ホモサピエンス)は土器を作って煮炊きに使うなど、利用を高度化した。1万年ほど前には、農業開始と前後して野生動物の家畜化を進め、動力源ともした。火の活用は金属利用にも道を開き、文明の誕生にも寄与した。
蒸気によって動力を得るようになったのは、わずか250年ほど前の18世紀。石炭利用から石油利用へと化石燃料の使用が急拡大し、内燃機関などのエンジン類も発明された。電力を動力源とするのは約150年前の19世紀後半である。
なぜ古い話を持ち出すのか。技術革新や社会の変化が激しいためか、現代人は極めて短期の視点でものをみがちである。原子力に話を戻すと、エネルギー利用の歴史はわずか半世紀余り。しかも、原子炉の基本コンセプトは第一世代のままであり、天然ウランをある程度濃縮して化石燃料のように使い捨てる段階にとどまっている。考古学の世界では時代区分として「縄文時代草創期」、「・・・早期」などの言葉が使われる。原子力の世界に当てはめれば、まだ「草創期」と言わざるを得ないのではないか。
エネルギーに限定せずに原子核反応関連に広げると、医療分野では検査機器や治療機器が活躍し、放射線の産業利用も多様な分野で進んでいる。実利を離れた分野でも、加速器は物質の根源や宇宙創成の謎に迫り、放射光施設などは様々な研究分野に貢献している。こうした広範な分野の発展を支えるには人材が欠かせず、人類に残された課題である核拡散防止、核軍縮・廃絶にも専門人材が求められる。日本も、無縁とは決して言えない。
人類文明の急拡大が地球規模の変化まで引き起こしていることから、今の地質年代名を「人新世」とすべきという提案がなされている。化石燃料枯渇後の人新世を生き抜こうとする人類が、原子力関連の知や技術を手放すとはとても思えないのである。

特別寄稿トップページへ戻る