この章では、放射線や放射性物質の性質、人体への影響とそのメカニズム、放射線から身を守るための注意点などに加え、私たちのくらしをよくするための放射線の利用についても解説したいと考えました。そのために、放射線が工業、医療分野等でどのように活用されているかを、できるだけわかりやすくイメージがわくように写真やイラストを用いながら、冒頭の見開き2ページにまとめました。特に、がん放射線治療は日々進歩しています。がん放射線治療では、「いかに多くの線量をがんに集中させ、正常組織に当てないか」が重要となります。1990年代以降、陽子線や重イオン線の物理的な性質、すなわち止まる直前に大きな線量を与える性質を利用してがんに線量を集中させる粒子線治療施設が多く作られています。また、線源と遮へい材のコンピュータによる精密な制御によってがんに線量を集中させる強度変調治療が普及しています。近年、到達距離が細胞のサイズ程度で、大きなエネルギーをもつアルファ線を用いて、細胞レベルでがんを狙い撃ちする標的内用療法が注目を集め、特に転移がんへの有効性が期待されています。
このような医療分野、産業分野での放射線の有効利用のためには、安全管理の基本となる放射線防護が重要です。国際放射線防護委員会(ICRP)では、これまでの科学的知見に基づいて、低線量・低線量率放射線の影響がどのようになっているかを整理し、放射線防護に関する法令などの基本となる勧告を出しています。その中でも重要な主勧告は2007年のものが最新となっていますが、ICRPは2021年に今後数年間をかけてこの再検討と改訂を行うという内容の論文を発表しています。この論文の中で、放射線影響とリスクに関するポイントとして、放射線感受性の個人差、遺伝性影響などが挙げられています。これらに関して、生物学・医学に関わる近年の科学的進歩を取り入れた改訂が行われる見込みです。
監修者からのメッセージ
この章で説明したように、放射線を多量に被ばくすると、がん、不妊などさまざまな健康影響が引き起こされます。一方で、私たちは常に自然界からの放射線を少しずつ浴びながら生活しています。また、放射線は医療や幅広い産業で利用されています。放射線の有効利用のためには、放射線の性質や生体への影響を理解し、これに基づいて安全や安心を確保することが必要です。
私たち専門家には、研究によって放射線の生体影響を科学的に解明していくことや、より有効かつ安全に放射線を利用する方法や装置などの開発が求められています。また、放射線利用によって得られる健康や豊かさを一般の方々に安心して享受していただくためには、放射線の性質や生体への影響の基本となることや研究・開発の成果を分かりやすく伝えることが必要と考えています。本パンフレットが放射線の性質、健康影響や利用法を理解し、放射線との向き合い方を考える一助となれば幸いです。

松本 義久
東京科学大学 総合研究院 ゼロカーボンエネルギー研究所 教授